2026年1月7日水曜日

「久延彦 REPORT」(25)

 毎年1月3日に執り行われている「元始祭(げんしさい)」という皇室祭祀をご存知でしょうか。この「元始祭」は1872年(明治5年)に制定された皇室祭祀の一つであり、天皇陛下御親(おんみずか)らが御親祭され、皇位の元始を寿(ことほ)ぎ、宮中三殿において国家国民の繁栄を祈られる大切な祭祀です。そして、全国の神社でも、これに倣(なら)って「元始祭」が執り行われ、皇室の弥栄(いやさか)と国家の隆昌を祈願しています。戦前までは新年の最初に行われる大祭として、国民の祝祭日になっていました。

 戦後80年を経て、私たち日本人にはなじみのない祭祀となっているかもしれませんが、「元始祭」に込められた意味を知ることにより、私たちは日本人としての自覚を深め、日本人であることの誇りを取り戻すことができるようになるのではないかと思います。それでは、「元始祭」の祝詞(のりと)において「元始(もとつはじめ)」と読み上げられる皇位の元始とはどういうことなのでしょうか。これは、日本国のはじまりを意味しています。『日本書紀』によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を天上の高天原(たかまのはら)から地上の豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに:日本の別名)に遣わされたこと、つまり「天孫降臨」が「元始」であり、日本国の肇(はじ)まりであるとされています。また、瓊瓊杵尊の血統を受け継ぐ初代神武天皇より現代に至るまでの万世一系の血脈が継承されてきたことが国土を治める由来ともなっているのです。

 日本国は天孫降臨に肇まり、万世一系の天皇が知らす国であるということを、年の始めに想起し、そのような日本国が永遠であるようにと祈りを捧げる、ここに日本人の精神性の原点があるのです。ところが、このような日本民族の伝統精神は、戦後どこかに置き去りにされ、私たちの心の中から消えてなくなってしまったのではないでしょうか。しかし、戦後、「元始祭」が国民の祝祭日から取り除かれた後も、皇位の元始を祝う「元始祭」は宮中祭祀として、旧来どおりの方式で営まれ続けているのです。そして、全国の神社でもこれに倣って毎年、皇室の繁栄と国家の隆昌を願う祈りが粛々と捧げられているのです。

 多くの日本人の心から取り去られてしまったものを、戦後も変わることなく守り続けてこられたのが天皇であられ、また全国各地の神社でした。因みに、伊勢神宮では、1月3日の早朝4時から外宮(豊受大神宮)にて、7時から内宮(皇大神宮)において「元始祭」が執り行われています。私たちの愛する日本国は、まさに万世一系の祭祀王であられる天皇の祈りと、それに倣う全国の神社で捧げられる祈りによって存続してきたのです。日本国は祈りの国であり、日本国民は祈りの民なのです。日本国が祈りによって支えられ、日本国民が祈りによって育まれてきたことを、私たちは決して忘れてはならないと思うのです。

 ところで、「元始祭」の「元始」という言葉ですが、これは、太安万侶(おおのやすまろ)による『古事記』の序文に記された「元始綿、頼先聖而察生神立人之世」を出典としています。この言葉の意味は次のようなものです。

「元始(げんし)は綿邈(めんばく)たれども、先(さき)の聖(ひじり)に頼(よ)りて神を生み人を立てまひし世を察(あき)らかにす。」

【現代語訳】
 天地の始まりは遥かに遠い昔のことで、直接知ることはできないけれども、古の賢者(先の聖)の記録(教え)に頼ることによって、神々が生まれ、人々が築き始めた時代(神代)の事柄を明らかにすることができる。

 『古事記』に綴られたこの短い序文には、実に深淵な真理が明示されており、現代の日本人が忘れてしまった大切な真実が隠されているのです。現代が混迷の時代であるからこそ、そして、世界が混沌とし、紛争の絶えない不安定な時代であるからこそ、私たちはすべての始まりについて思いを馳せ、遥か遠い昔の天地の始まりについて熟慮黙考(じゅくりょもっこう)しなければならないのです。そのために何よりも大切なこと、それが古(いにしえ)の賢者の記録に信頼することです。そして、『古事記』や『日本書紀』などの古典に学ぶことなのです。

 「古典」を意味する「classics(クラシックス)」とは、ラテン語の「クラシクス」を語源としています。これはローマ帝国が国難に直面した時に、艦隊(クラシス)を寄付できるような人、という意味であり、国難の時に助けとなるものを意味していました。つまり、国難に立ち向かうためのよすがとなるものが古典(クラシックス)なのです。ここから、人間の精神が危機に直面した時に何よりも信頼できるもの、人生における大きな決断を迫られる時に間違いのない判断を下す力を養ってくれるもの、そのような書物を「古典」と呼ぶようになったのです。

 歴史学者のアーノルド・トインビーは「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と語りました。新しい年を迎えて、今こそ悠遠なる神代の物語としての古典を学び、日本民族の神話に心静かに向き合いましょう。今、私たちの周りにある危機に立ち向かい、その危機を克服していく道は、私たちの近くにあるのではなく、むしろ遠い昔の知恵の中に、古の賢者の記録の中にこそあるのではないでしょうか。古典の中にこそ、日本国と日本国民を救うことのできる知恵の言葉が散りばめられているのかもしれません。

 2026年を迎えるに際して、私たちはもう一度すべての原点に回帰しましょう。「元始祭」という宮中祭祀に込められた天意を心に刻みましょう。日本は天孫降臨により肇国(ちょうこく)された国であり、万世一系の天皇の知らす国です。そして、天皇の大御心に倣った祈りによって日本は守られ、支えられているのです。これらの美しい伝統精神を想起することにより、私たちは国難に立ち向かうことができるのです。そして、『記紀』(古事記・日本書紀)に代表される古典に信頼することです。現代科学が日本を救うのではありません。今の時代にもてはやされている知識や思想が日本国民を救うのではないのです。国難に立ち向かうための知恵と力は、私たちの先人たちが血涙をもって認(したた)めた古典の中にこそあるからです。

 今年は今までにないほどの国難の時であると思います。だからこそ、私たちは歴史に対して謙虚になり、先人の知恵に信頼する者となりましょう。そして、日本国が祈りによって守られ、祈りによって支えられていることを決して忘れることなく、日本のために祈る者となりましょう。

 「祈る時間を取っておきなさい。それは地上で最大の力である。」

 私たち一人一人の祈りが日本を救います。私たちが古典に立ち返り、すべての原点を見つめ直す時、日本国民は救われるのだと、私は信じています。