2025年12月17日水曜日

「久延彦 REPORT」(24)

 2025年の「今年の漢字」に選ばれたのは「熊」でした。今年はクマによる被害が各地で報告され、人身被害は過去最多となりましたが、その原因についてはあまり報道されていません。実際に、いくつかのメディアでは有識者の話として、その原因を解説しているものもありましたが、果たしてそれが本当の原因なのかどうか、とても疑わしいのです。因みにクマによる被害は「熊害」とも言われますが、これは「ゆうがい」と読みます。

 では、「熊害」の本当の原因は何なのでしょうか。実は、ここには私たちの「ものの見方や考え方」に対する一つの警告があるように思えるのです。つまり、今年の熊害は私たちにとても大切なことを知らせるための「天からのしるし」だったのかもしれないのです。

 それでは、熊害の本当の原因とはどのようなものなのでしょうか。第一に、食糧不足があります。しかし、これはよく言われている地球温暖化のせいではありません。実は、この食糧不足は人災であり、原因は人間が森林の管理を怠ってきたからです。クマの主食となる「どんぐり」をつける木とは、クヌギ、コナラ、カシワ、ブナ、ミズナラなどですが、これらの木が人間によって伐採されるだけでなく、これらの樹木を再生させるという森林管理がなされていないのです。その結果として、クマの主食であるどんぐりは不足し、クマは食料を求めて人の居住する地域に出没するようになったのです。

 次に考えられる理由は個体数の増加です。つまり、クマの頭数が増え過ぎたのですが、これもある意味では人災です。クマの個体数が増加したのは、生態系のバランスが崩れたからであり、本来あるべき食物連鎖に問題が生じているからです。実は、陸上における生態系において、その頂点にいたのはオオカミでした。ところが、オオカミを害獣として駆除したために、天敵がいなくなったクマの個体数が増加するようになったのです。1905年に本州ではニホンオオカミが絶滅し、1900年頃には北海道でエゾオオカミが絶滅しました。およそ120年前に陸の生態系は変化させられ、クマが陸上における食物連鎖の頂点に立つようになったのです。

 このようにクマが食物連鎖の頂点に立つようになったのは、人間が生態系のバランスを壊したからです。1世紀にわたる工業化により、人間は野生動物の住処(すみか)を奪ってしまいました。結局、人間による自然破壊が熊害の原因であり、その解決策は人間が壊した自然を元どおりに回復させることなのです。

 ところで、「クマ問題」と「問題クマ」の違いをはっきりと区別しておかなければなりません。クマ問題とは食糧不足をどのようにして解決し、生態系のバランスをいかに回復するのかという問題です。それに対して、問題クマは市街地に出没し、人身被害をもたらすクマをいかにして駆除するのかという問題です。後者については、問題クマを駆除する以外に解決策はありません。ただ、ここでも駆除の仕方にひと工夫する必要があります。その一つがクマを駆除する際に、その場で即死するような処置を取らないということです。クマを射撃した際に、即死させるのではなく、ある程度の重傷を負わせ、クマを元の山に帰らせるのです。瀕死のクマが山の中を歩き回ることにより、それを見た他のクマは人間を恐れるようになるからです。クマにはそうした学習能力があるので、その習性を逆手にとって、重症のクマを山に戻し、人間に対する恐怖心を植え付けることで、クマが山から下りてくるのを防止することができるのです。

 では、クマ問題についてはいかに対処すべきなのでしょうか。まず、食糧不足の解決策はどんぐりをつける木を増やすことです。人間の野放図(のほうず)な伐採によりどんぐりが不足したのですから、各地の自治体が一丸となってどんぐりをつける木々を植樹するしかありません。そして、15~20年の期間をかけて本来の森を再生し、クマの食糧不足を解消することです。

 次に生態系のバランスについてですが、人間が自然を破壊したのですから、人間の手によって元の自然を取り戻すことです。しかし、絶滅したオオカミを再び食物連鎖の頂点に置くことはできませんし、あるいはクマを害獣として駆除すれば、今度はシカやイノシシが増えすぎて、やがて人間と衝突することになります。従って、私たちにできることは、破壊された自然を再生させると共に、クマの個体数を徹底的に管理することです。それは、オオカミの代わりに人間が食物連鎖の頂点にあって、生態系のバランスを回復するための努力をすることなのです。

 日本列島のそもそもの生態系は何万年も前から森林生態系だったのです。田畑や草原、砂漠ではなく、森林が生態系の中心であったことを私たちは思い起こさなければなりません。日本列島の成り立ちや本来の生態系、また、ありのままの日本の自然とはどのようなものだったのか、私たちはもう一度立ち止まって元々の日本の姿について考えてみなければならないのです。

 私たちは利己的な欲望によって、あるいは損得勘定だけで、恵み豊かな美しい自然を破壊し、そこから多くのものを無節操に収奪してきたのではないでしょうか。今回の「熊害」は、自然との共生こそが現代の日本人が最優先に考えなければならない大切な命題であることを教えてくれる「天からのしるし」だったのかもしれません。偽善的で、利権にまみれた「外国人との共生」というきれいごとについて語り合う前に、私たちが真摯に向き合うべきことは、私たちが生まれ育った日本列島を本来の姿に戻し、あるべき自然といかに共生していくのかということです。何万年も前から変わることのなかった生態系にできる限り近づけ、本来の日本列島を取り戻すことが、何よりも願われているのです。

 最後に、クマの個体数を管理する際に、是非とも取り入れるべきことがあります。それは、狩猟を生業(なりわい)にしていた「又鬼(マタギ)」と呼ばれていた人々が行っていた狩りにまつわる宗教的習俗です。その特徴はクマを神からの授かり物とし、狩猟の前には身を清めるなど、ある種の宗教的儀式を行っていたことです。また、狩猟したクマは「ケボカイ」と言われる儀式によって解体され、毛皮から肉、骨にいたるまで慣習に従って丁重に処理されたのです。このような自然に対する敬意と感謝の心をもって、自然の恵みと対峙し、自然と共生することが何よりも大切なのではないでしょうか。

 「熊害」を通して、私たちは自然との共生に思いを至らせ、人間本位の損得勘定ではなく、自然の恵みに感謝する心を取り戻すことが願われているのだと思います。その意味では、国家的エゴや人間の利己的な欲望、さらには政治の道具となって、私たちの心を蝕(むしば)んでいるもう一つの「熊害」についても思い起こさなければなりません。それは「大熊猫」と表記される「パンダ」の問題です。パンダは中国共産党の手先となり、中国共産党による侵略工作のお先棒を担いで世界中に貸与されています。もしかしたら、人里に出没するクマよりも、パンダの方がよほど私たちにとっては有害なのかもしれません。しかし、これも高市政権がもたらした恩恵なのでしょうか、もうすぐ上野動物園のパンダも中国に返還されるようです。最も深刻で厄介な「熊問題」は静かに着々と解決に向かっていたのです。パンダにも人や家畜を襲う習性があり、非常に凶暴な一面があるようです。大熊猫(パンダ)が中国に返還されることは日本国民にとっては何とも喜ばしき出来事なのです。