「断乎(だんこ)反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし。」
1945年8月18日、ソ連軍は千島列島最北の占守(しゅむしゅ)島に数千の兵士を強襲上陸させてきました。この知らせを聞いた第5方面軍司令官であった樋口季一郎中将は、自衛のための戦闘として、ソ連軍を撃滅せよと命じます。この決断により、ソ連軍による北海道占領の野望は阻止されることになりました。つまり、占守島の戦いがあったからこそ、北海道は守られたのです。
しかし、この歴史の真実をどれだけの日本人が知っているのでしょうか。千島列島を足掛かりとして、北海道までも占領しようとしていたのが、共産主義国家・ソ連であったことを私たちは決して忘れてはならないのです。しかも、ソ連軍が侵攻してきたのは、日本がすでにポツダム宣言を受諾した後の8月18日でした。共産主義国家にとっては国際条約や国際法などは何の価値もなく、ただの紙切れに過ぎないのです。
日本がポツダム宣言を受諾したことを受けて、米国は停戦命令を出しましたが、ソ連はその後も攻撃の手を緩めず、むしろ火事場泥棒のように千島列島に侵入し、日本の領土を徹底的に蹂躙しようとしました。ソ連軍の侵略を命がけで阻止し、祖国日本のために戦ってくれた人たちがいたことを、私たちはいつも思い起こさなければなりません。
2022年10月11日に樋口季一郎中将の功績を伝える銅像と顕彰碑が、出身地である兵庫県淡路市の伊弉諾(いざなぎ)神宮に建立されました。その除幕式において、樋口中将の孫である樋口隆一氏は次のように語られました。
「終戦時に樋口がソ連の北海道侵略を止めていなければ、日本は今のウクライナと同じ運命をたどったに違いない。」
では、なぜ、樋口中将は「ソ連軍を撃滅すべし」と命じることができたのか。それは、ソ連の本性、つまり、共産主義国家の本質を見抜いていたからです。現代の日本国にとっての最大の脅威は、今や共産主義国家・中国であることは自明です。中国共産党政権の野望と日本侵略の暴挙から、どのようにして日本国民の生命を守り、日本国の平和を守るのか、そのことこそが喫緊(きっきん)の国家的課題なのではないでしょうか。
日本の平和は日本国憲法によって守られているのではありません。樋口中将が日本国憲法についてどのように思われていたのか、そのことが『遺訓』として残されています。
「平和主義を強調するあまり、媚態(びたい)的に『不戦主義』にまで発展し、『他国の信義に信頼し、安全と生存を保持』せんとするは、あまりにも卑屈に堕し、現実に即せざる。」
この樋口中将の『遺訓』の言葉こそ、今の政治家の人たちが耳を傾けるべき金言ではないでしょうか。戦う覚悟とそのための軍備を整え、さらにその決意と意思を相手に伝えなければ侵略を招くことにもなりかねません。法の支配こそが国際秩序維持の原則であるとしも、平和主義や不戦主義がいかに道義的に正しいとしても、共産主義国家にそれは通用しません。軍事力という背景を持たない外交はあまりにも脆弱(ぜいじゃく)なものだからです。
戦後80年を迎えて、私たちはそろそろ「平和ボケ」をやめて、樋口中将が日本国を断固守ろうとされた素晴らしい決断に心を向け、平和は与えられるものではなく、自らの責任で作り出すものであることを知るべきなのです。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言われますが、私たちは歴史を教訓とし、国家は悪によってではなく、愚によって滅びる、ということを改めて肝に銘じるべきなのです。