2026年4月15日水曜日

「久延彦 REPORT」(35):米国によるイラン攻撃の真の目的

  日本のマスメディアが決して伝えようとしない不都合な真実があります。それは、今回の米国とイスラエルによるイラン攻撃の真の目的です。2月28日の攻撃開始からすでに40日を過ぎてもなお、日本のメディア、そして、テレビや新聞に登場する専門家や有識者は、まるで申し合わせたかのように、米国の真の目的を隠そうとしています。それは、なぜでしょうか。聞こえてくるのは、米国に対する一方的な非難の言葉ばかりで、なぜ、米国がイランを攻撃したのか、あるいは攻撃せざるを得なかったのか、その真の目的を語ろうとはしないのです。

 「戦争における最初の被害者は真実である」という言葉があります。米国によるイラン攻撃の真の目的が隠され、知らされないままに時が過ぎるとすれば、そして、国民が真実を知らされることなく、米国の目的を誤解し、思い違いをしたままにイランに対する攻撃を非難し、また、異議を唱え続けるとすれば、それこそ、最初の被害者は真実となってしまうのであり、さらに、次の被害者は真実を知らされない世界中の国民ということになってしまうのです。

2026年4月8日水曜日

「久延彦 REPORT」(34):「平和学習」はいかにあるべきか

  「平和学習」とはいかなるものなのでしょうか。沖縄の辺野古転覆事故をきっかけとして「平和学習」のあり方について議論されていますが、そもそも「平和学習」とはどのようなものであるべきなのでしょうか。結論から言えば、「平和」という言葉が、この問題の本質を見えなくさせているように思います。「平和学習」という言葉を聞いて、その学習を非難することはありませんし、ましてや平和学習そのものに異論を唱え、反論することなど許されないというのが現実です。それほど「平和」という言葉は、非難も反論も許さない絶対的な正義であるかのような言葉なのです。しかし、ここに盲点があります。誤魔化しがあるのです。そこで、「平和学習」はいかにあるべきなのか、その意義について考えてみようと思います。

 まず、最初に確認しておきたいのですが、平和を願う心はすべての人に通じるものであり、誰一人として平和を望まない人はいないということです。古今東西を問わず、すべての人は平和を希求してきました。そして、永遠なる平和を願い、恒久的な平和を祈り続けてきたのです。しかし、私たちは改めて自問自答しなければなりません。すべての人が平和を願い、平和な世界が実現することを心から祈り求めているのに、どうして平和が実現されていないのか。この問いかけは、私たちの思い違いを気づかせ、平和についての勘違いを明らかにしてくれるものなのではないでしょうか。

2026年3月25日水曜日

「久延彦 REPORT」(33):「平和学習」に潜む闇

 3月16日、沖縄県名護市の辺野古沖で18人の高校生を乗せた抗議船が転覆し、17歳の女子高生と「不屈」の船長の2人が死亡するという痛ましい事故がありました。また、乗船していた14人も重軽傷を負うという近年でも稀な重大事故でした。ところが、不思議なことに主要メディアは、この事故についてほとんど取り上げることがなく、沈黙し続けています。ところで、「ヘリ基地反対協議会」が運航する抗議船に高校生を乗せることが、本当に「平和学習」となるのでしょうか。辺野古沖で行われた「平和学習」とはいかなるものだったのか、そのことについて論じてみようと思います。

 まず、「ヘリ基地反対協議会」の関係者、あるいは抗議活動の支援者の方たちが、今回の転覆事故についてどのようなコメントを発しているのか、その内容についてご紹介しますが、ここにも「平和学習」に潜む闇を感じてなりません。

2026年3月11日水曜日

「久延彦 REPORT」(32):無罪を信じ続ける信念

 昭和59年の「日野町事件」(滋賀県日野町で酒店経営の女性が殺害され手提げ金庫が奪われた強盗殺人事件)で、無期懲役となり、服役中に病死した阪原弘(さかはらひろむ)さんの再審開始が決定しました。阪原さんの遺族が申し立てた第2次再審請求に対し、最高裁第2小法廷は2月24日付の決定で、再審開始を認めた大阪高裁決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却しました。これによって、再審開始が確定し、大津地裁でやり直される再審公判において、無罪となる公算が大きくなりました。逮捕から38年、阪原さんの無実を信じ続けた遺族の信念が勝ち取った再審決定でした。

 事件から3年以上が過ぎた昭和63年、警察の取り調べを受けて帰宅した阪原さんは家族に「自白した」ことを告げました。阪原さんは厳しい取り調べの中で、たとえ殴られも蹴られても、自分がやったとは自白しませんでした。しかし、家族が脅(おど)されたり、傷つけられたり、あるいはひどい仕打ちを受けることだけには、どうしても耐えられなかったのです。

2026年3月4日水曜日

「久延彦 REPORT」(31):国歌について

 国歌「君が代」について私たちはどれほどのことを知っているのでしょうか。「君が代」の歌詞にどのような意味が込められているのか、その歌詞が「五・七・六・七・七」となっているのはなぜなのか。私たちは何も知らないでいるのではないでしょうか。それは、何も知らされていないからであり、何も教えられてこなかったからです。日本人として、国歌「君が代」の由来について、あるいはその歌詞の意味について知ることは、何よりも大切なことだと思います。そこで、国歌「君が代」の由来とその歌詞の意味について書き記しておきたいと思います。まずは「君が代」の歌詞ですが、以下のように「五・七・六・七・七」の変則的音数による和歌の形式になっています。

 君が代は(きみがよは)
 千代に八千代に(ちよにやちよに)
 さざれ石の(さざれいしの)
 巌となりて(いわおとなりて)
 苔のむすまで(こけのむすまで)

2026年2月23日月曜日

「久延彦 REPORT」(30):国旗について

 平成11年(1999年)8月13日に「国旗及び国歌に関する法律」が、公布され、即日施行されました。通称は「国旗・国歌法」で、国旗と国歌について規定した日本で最初の法律となりました。条文は以下の通りです。

 第一条 国旗は日章旗とする
 第二条 国歌は君が代とする

 国旗も国歌もその国を代表するものであり、そこにはその国の建国の由来や国柄、さらには民族の伝統文化や精神、そして、それらのものを生み出した理想や国家と国民の所願が込められています。国旗と国歌に敬意を払うことは、まさにその国に敬意を払うことであり、国民にとって国旗と国歌は誇りであり、名誉そのものでもあります。そして、これが世界の常識であることを、私たちは何よりも肝に銘じなければなりません。

2026年2月11日水曜日

「久延彦 REPORT」(29):「建国記念の日」について

 世界に存在する国家の中で、最も古くから存続している国、それが日本です。そして、『古事記』や『日本書紀』には、日本建国の由来が記されています。理想の国づくりを目指して、九州の日向(現在の宮崎県)から東の地へと理想郷を求めた神武天皇は「神武東征」により、大和(やまと)の地を平定し、橿原(かしはら)の地で初代天皇として即位されました。その日が紀元前660年2月11日なのです。

 ところで、日本の建国が紀元前660年2月11日とされているのはどうしてなのでしょうか。この日は神武天皇が即位された日なのですが、その日付はいかにして特定されたのでしょうか。それは、『日本書紀』の次のような記述を根拠としています。