2026年3月11日水曜日

「久延彦 REPORT」(32):無罪を信じ続ける信念

 昭和59年の「日野町事件」(滋賀県日野町で酒店経営の女性が殺害され手提げ金庫が奪われた強盗殺人事件)で、無期懲役となり、服役中に病死した阪原弘(さかはらひろむ)さんの再審開始が決定しました。阪原さんの遺族が申し立てた第2次再審請求に対し、最高裁第2小法廷は2月24日付の決定で、再審開始を認めた大阪高裁決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却しました。これによって、再審開始が確定し、大津地裁でやり直される再審公判において、無罪となる公算が大きくなりました。逮捕から38年、阪原さんの無実を信じ続けた遺族の信念が勝ち取った再審決定でした。

 事件から3年以上が過ぎた昭和63年、警察の取り調べを受けて帰宅した阪原さんは家族に「自白した」ことを告げました。阪原さんは厳しい取り調べの中で、たとえ殴られも蹴られても、自分がやったとは自白しませんでした。しかし、家族が脅(おど)されたり、傷つけられたり、あるいはひどい仕打ちを受けることだけには、どうしても耐えられなかったのです。

2026年3月4日水曜日

「久延彦 REPORT」(31):国歌について

 国歌「君が代」について私たちはどれほどのことを知っているのでしょうか。「君が代」の歌詞にどのような意味が込められているのか、その歌詞が「五・七・六・七・七」となっているのはなぜなのか。私たちは何も知らないでいるのではないでしょうか。それは、何も知らされていないからであり、何も教えられてこなかったからです。日本人として、国歌「君が代」の由来について、あるいはその歌詞の意味について知ることは、何よりも大切なことだと思います。そこで、国歌「君が代」の由来とその歌詞の意味について書き記しておきたいと思います。まずは「君が代」の歌詞ですが、以下のように「五・七・六・七・七」の変則的音数による和歌の形式になっています。

 君が代は(きみがよは)
 千代に八千代に(ちよにやちよに)
 さざれ石の(さざれいしの)
 巌となりて(いわおとなりて)
 苔のむすまで(こけのむすまで)

2026年2月23日月曜日

「久延彦 REPORT」(30):国旗について

 平成11年(1999年)8月13日に「国旗及び国家に関する法律」が、公布され、即日施行されました。通称は「国旗・国歌法」で、国旗と国歌について規定した日本で最初の法律となりました。条文は以下の通りです。

 第一条 国旗は日章旗とする
 第二条 国歌は君が代とする

 国旗も国歌もその国を代表するものであり、そこにはその国の建国の由来や国柄、さらには民族の伝統文化や精神、そして、それらのものを生み出した理想や国家と国民の所願が込められています。国旗と国歌に敬意を払うことは、まさにその国に敬意を払うことであり、国民にとって国旗と国歌は誇りであり、名誉そのものでもあります。そして、これが世界の常識であることを、私たちは何よりも肝に銘じなければなりません。

2026年2月11日水曜日

「久延彦 REPORT」(29):「建国記念の日」について

 世界に存在する国家の中で、最も古くから存続している国、それが日本です。そして、『古事記』や『日本書紀』には、日本建国の由来が記されています。理想の国づくりを目指して、九州の日向(現在の宮崎県)から東の地へと理想郷を求めた神武天皇は「神武東征」により、大和(やまと)の地を平定し、橿原(かしはら)の地で初代天皇として即位されました。その日が紀元前660年2月11日なのです。

 ところで、日本の建国が紀元前660年2月11日とされているのはどうしてなのでしょうか。この日は神武天皇が即位された日なのですが、その日付はいかにして特定されたのでしょうか。それは、『日本書紀』の次のような記述を根拠としています。

2026年1月25日日曜日

「久延彦 REPORT」(28)

  核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇などのあらゆる活動を例外なく禁止する初の国際条約である「核兵器禁止条約」が発効してから、1月22日で5年となりました。広島・原爆ドーム前には市民約100人が集いましたが、主催者の一人は高市政権において政府高官が核保有発言をしたことに言及し、「私たちの被爆国という立場は一体どこに消えてしまったんだろう」と怒りをあらわにしました。また、広島県原爆被害者団体協議会理事長の箕牧智之(みまきとしゆき)氏は、日本政府の姿勢を批判して次のように語りました。

 「私たち被爆者は、核兵器禁止条約を国の内外に訴え続けてきました。それから5年が経ち、世界は私たちの願いとは反対の方向に向かっている。日本政府の考え方は、まさに戦争前夜と言いたいくらいだ。」

2026年1月21日水曜日

「久延彦 REPORT」(27)

  高市早苗首相は1月19日の記者会見で、23日に召集される通常国会の冒頭で衆議院を解散し、27日公示、2月8日投開票の日程で衆院選を行うことを表明しました。そして、衆院解散については次のように述べ、その意義を強調しました。

 「高市早苗が首相で良いのかどうか、主権者たる国民に決めていただく。・・・自民と維新で過半数なら高市首相。そうでなければ野田首相か、斉藤首相か、別の人か。国民に選んでいただく。」

 高市首相は解散理由について、維新との連立政権合意書に盛り込んだ政策が、前回の衆院選で自民党が公約した内容とは異なっており、「国の根幹に関わる重要政策の大転換」がなされていることを主権者たる国民に問いたいからだ、と説明しました。まさに政策の大転換を国民に審判してもらい、「首相としての進退をかける」と明言したのです。

2026年1月14日水曜日

「久延彦 REPORT」(26)

 1月5日、高市早苗首相は三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝された後、年頭の記者会見に臨み、次のように力強く語られました。

 「本年は政治のリーダーシップをしっかり発揮していく年にしなければなりません。『分水嶺』となるかもしれない丙午(ひのえうま)の年頭に当たって、そう強く感じています。」

 「分水嶺」とはどういう意味なのでしょうか。これは物事の方向性が決まる重要な分岐点という意味です。つまり、本年が日本国にとって将来に繁栄をもたらすのか、それとも衰退に向かうのか、その分かれ目であることを意味しているのです。そのような国家としての命運を左右する重要な分かれ目に立ち、国家の最高指導者としての覚悟を表明したのが、年頭の会見であったように思います。