2026年3月4日水曜日

「久延彦 REPORT」(31):国歌について

 国歌「君が代」について私たちはどれほどのことを知っているのでしょうか。「君が代」の歌詞にどのような意味が込められているのか、その歌詞が「五・七・六・七・七」となっているのはなぜなのか。私たちは何も知らないでいるのではないでしょうか。それは、何も知らされていないからであり、何も教えられてこなかったからです。日本人として、国歌「君が代」の由来について、あるいはその歌詞の意味について知ることは、何よりも大切なことだと思います。そこで、国歌「君が代」の由来とその歌詞の意味について書き記しておきたいと思います。まずは「君が代」の歌詞ですが、以下のように「五・七・六・七・七」の変則的音数による和歌の形式になっています。

 君が代は(きみがよは)
 千代に八千代に(ちよにやちよに)
 さざれ石の(さざれいしの)
 巌となりて(いわおとなりて)
 苔のむすまで(こけのむすまで)

 「君が代」の歌詞の由来はかなり古く、10世紀初頭に編纂(へんさん)された勅撰和歌集『古今和歌集』の「賀歌(がのうた:祝いの歌)」の冒頭に収録された「読人知らず」の和歌が原典とされます。

 我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

 古今和歌集の時代においては、和歌にある「我が君は」という言葉の「君」は、敬愛する大切な人を指していました。例えば、9世紀に光孝天皇(こうこうてんのう:第58代天皇)が僧正遍昭(そうじょうへんじょう:平安時代初期の僧侶であり歌人)の70歳の祝賀において、その長寿を祝い「君が八千代」と歌われましたが、ここでの「君」も祝賀を受ける人を指しており、必ずしも天皇を讃えるという意味ではなかったのです。そして、鎌倉時代の初期になると「我が君は」という言葉は「君が代」に改められ、武士から庶民に至るまで祝い事には欠くことのできない歌として広く親しまれるようになったのです。

 やがて、「君が代」は天皇の治世を意味するものへと変遷していきましたが、「君」が天皇を指すものと解釈されるようになったのは明治時代になってからです。また、「君が代」に曲がつけられ国歌となったのは、明治3年(1870年)に大山弥助(おおやまやすけ:後の大山巌)が国際儀礼に不可欠の国歌の必要性を英国公使館の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンから聞かされたことがきっかけでした。そこで、大山弥助は愛唱歌であった「君が代」の歌詞を選んで提出し、フェントン自らが「君が代」の歌詞に洋式の曲をつけることになったのです。横浜の山手公園音楽堂でフェントン指揮による初めての演奏会が行われ、「君が代」が演奏されたのですが、フェントン作曲の「君が代」は威厳を欠いたもので、不満の声もあり、結果的には普及しませんでした。

 そこで、フェントン作曲の「君が代」は廃止され、明治13年(1880年)に宮内省雅楽課を中心として日本の伝統的音楽の雅楽の音階を尊重した新しい旋律作りが始められました。そして、宮内省一等伶人(れいじん:雅楽を演奏する人)の林廣守(はやしひろもり)が作曲した雅楽の曲が採用されることになり、同年11月3日の天長節の宮中祝宴で初めて吹奏され、現在の国歌「君が代」が誕生したのです。

 ところで、「国旗及び国歌に関する法律」の制定により、「君が代」の意味はどのように定義されることになったのでしょうか。1999年6月29日、次のように解することが日本政府の公式見解となりました。

 「君」とは「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」。
「代」は本来、時間的な概念だが、転じて「国」を表す意味もある。
「君が代」は「日本国民の総意に基づき天皇を日本及び日本国民統合の象徴とする我が国のこととなる」。

 大東亜戦争の直後、連合国軍総司令部(GHQ)は日本を占領し、日の丸の掲揚禁止と共に、「君が代」斉唱をも全面的に禁止しました。しかし、1951年(昭和26年)9月に調印され、翌年4月に発効したサンフランシスコ平和条約により日本の主権が回復したことを機に、礼式などで再び「君が代」が国歌として演奏されるようになったのです。

 「君が代」とは、万世一系の天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国が千代に八千代に、末永く繁栄し、平和であり続けることを願う祈りの歌なのです。まさに、その歌詞が「五・七・六・七・七」であることは、「君が代」が祈りそのものであることを意味しています。それは、「和歌」が本来的には祈りであったことに由来しています。日本の国歌「君が代」はただの国歌ではなく、日本国民の祈りであり、天皇陛下御自らの祈りでもあったのです。

 最後に、「君が代」の歌詞に関する天啓的な解釈についても紹介しておきます。「君(きみ)」は、『古事記』に登場する神を表していると考えられます。それは、国生みの神である「伊邪那岐神(いざなきのかみ)」と「伊耶那美神(いざなみのかみ)」です。「き」は伊邪那「岐」神の「き」で、「み」は伊耶那「美」神の「み」なのです。つまり、「君(きみ)」とは男神(おがみ)の伊耶那岐神と女神(めがみ)の伊耶那美神の二柱の神を合わせた言葉であり、さらに「男」と「女」を意味しているのです。そのように考えてみれば、「君」とは男と女の意味であり、さらにこの「君」は天皇陛下と皇后陛下を意味しているとも解することができるのです。

 二柱の神である伊耶那岐神と伊耶那美神は夫婦となり、日本国を生むだけでなく、さらには日本国に住むべき神々をお生みになりました。そして、その後に生まれてきたのが、日本人であり、私たちの祖先だったのです。そして、そのような「代(よ)」が時代を越えて、「千代に八千代に」と永遠に続くこと、それが日本人の切なる祈りでした。それは、「さざれ石」である小さな一つ一つの生命が結び合わされ、愛で一つになり、やがて「巌となりて」、そこに「苔のむすまで」変わることなく永久に受け継がれていくことへの哀願でもありました。

 「苔のむすまで」という結びの言葉には、造化三神(ぞうかさんじん)とも呼ばれる三柱の神のうちの二柱の神である「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と「神産巣日神(かむむすひのかみ)」の名が含まれています。それが「むす(産)」という言葉で、「生じる、生み出す」という意味で、「苔生す」の「生す」とも同根です。また、「むすこ(息子)」、「むすめ(娘)」という言葉も、「高御産巣日神」と「神産巣日神」の「むす(産)」から来ているのです。因みに、日本人にとっておなじみの「おむすび」ですが、この言葉も「むす(産)」が語源となっています。

 「君が代」は世界の国歌の中で最も古い歌詞とされ、さらに世界で最も短い歌詞とされていますが、その歌詞には溢れるほどの深淵なる意味が込められているのであり、私たち日本人はその意味を深く心に刻みながら、長い歳月を越えて祈りの言葉として歌い継いできたのです。

 国旗は掲揚するものであり、国歌は斉唱するものです。「斉唱」とは二人以上の複数人で同じ旋律を歌うことです。日本の国歌は厳粛な気持ちでそのメロディーを聞くのではなく、旋律に合わせてみんなで歌うものだからです。世界で尊敬され、信頼される日本人となるために、私たちは自分の国を愛し、国旗と国歌を愛する心を持たなければなりません。国を愛することは、その国の国旗と国歌を愛することから始まるからです。

 あらゆる人間愛の中でも、最も重要で、最も大きな喜びを与えてくれるのは、祖国に対する愛である。(古代ローマの思想家・文筆家 マルクス・トゥッリウス・キケロ)