昭和59年の「日野町事件」(滋賀県日野町で酒店経営の女性が殺害され手提げ金庫が奪われた強盗殺人事件)で、無期懲役となり、服役中に病死した阪原弘(さかはらひろむ)さんの再審開始が決定しました。阪原さんの遺族が申し立てた第2次再審請求に対し、最高裁第2小法廷は2月24日付の決定で、再審開始を認めた大阪高裁決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却しました。これによって、再審開始が確定し、大津地裁でやり直される再審公判において、無罪となる公算が大きくなりました。逮捕から38年、阪原さんの無実を信じ続けた遺族の信念が勝ち取った再審決定でした。
事件から3年以上が過ぎた昭和63年、警察の取り調べを受けて帰宅した阪原さんは家族に「自白した」ことを告げました。阪原さんは厳しい取り調べの中で、たとえ殴られも蹴られても、自分がやったとは自白しませんでした。しかし、家族が脅(おど)されたり、傷つけられたり、あるいはひどい仕打ちを受けることだけには、どうしても耐えられなかったのです。
阪原さんは家族を守りたいという思いからあえて嘘の自白をし、心ならずも罪を一身に背負うことを覚悟したのです。家族は周囲の人たちから「殺人犯の家族」と見られることが苦しく、追い出されるようにして故郷を捨てなければなりませんでした。しかし、家族だけは阪原さんの言葉を信じ続けました。「何もやってへん。誰も信じてくれなくても、お前らだけは信じてくれ」。家族の人生は激変しますが、それでも父親への思いは決して変わりませんでした。再審開始を求める署名を集め、決して諦めることはありませんでした。そんな中で阪原さんは服役中に病死します。妻であるつや子さんは「無罪を見届けるまでは死ねない」が口癖になっていました。
「日野町事件」の再審開始が確定したことを受けて、私は改めていかに時が流れようとも、真実は明らかにされなければならないと強く思わされました。そして、何よりも明らかにされなければならない真実があると思わされました。それが、歴史の真実であり、大東亜戦争の真実です。私たち一人一人が日本人として求め続けなければならない再審請求があります。決して諦めることのできない無実の訴えがあります。「誰も信じてくれなくても、日本人であるあなたたちだけは信じてくれ」と懇願する声をどんなことがあっても信じ続けなければならない使命が日本人にはあるのです。
日本国を守るために、日本国民を守るために、そして、万世一系の天皇陛下を守るために、極東国際軍事裁判(東京裁判)において戦犯とされた方々はいわれもなき罪をあえて背負い、偽りの自白をせざるを得なかったのではないでしょうか。そうした方々の無念に思いを馳(は)せ、偽らざる心の訴えに耳を傾ける者はどこにいるのでしょうか。かつて、一人の判事が日本国と日本国民の名誉と尊厳のために法廷で戦ってくれました。大東亜戦争の真実を知る者として、捏造された歴史と勝者による正義、そして悪意に満ちた復讐裁判に抗(あらが)い、国際法の原則に基づいた法の正義を貫こうとした判事がいたのです。それが、パール判事でした。
極東国際軍事裁判で判事を務めた11名の判事の中で、国際法に精通していたのはパール判事だけでした。そして、ただ一人、パール判事だけが被告全員の無罪を主張したのです。パール判事は極東国際軍事裁判の矛盾を指摘し、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪とすることには法的根拠がないことを訴えたのです。「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は戦勝国によって作られた事後法(じごほう)であり、大東亜戦争開戦時に存在しなかった法により被告を裁くことは法の精神を踏みにじる暴挙であったからです。
さらに、パール判事は極東国際軍事裁判の本質が法の精神に則(のっと)った正義の裁判ではなく、単に戦勝国による日本に対する復讐であることを見抜いていました。「裁判の方向性があらかじめ決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」とのパール判事の言葉は、そのことを明らかにしていました。そして、パール判事は東京裁判がいかにでたらめでめちゃくちゃな裁判であり、罪刑法定主義に反して「戦争犯罪人」をつくり出し、好き勝手に処罰しようとしている復讐裁判であるかを告発するために、英文で1275ページに及ぶ『パール判決書』を提出し、国際法の正義を駆使した反論を展開したのです。
被告全員を無罪とした『パール判決書』の中には、次のような記述があります。
「戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」
(南京事件について)「この物語のすべてを受け入れることは困難である。」
「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう。」
パール判事は、大東亜戦争の真実を熟知し、そのような戦争が起こってしまった原因について正確に分析し、さらには裁かれている被告人の罪責がいかに捏造された虚偽に基づいているのかをよく知っていたのです。そして、いつの日か大東亜戦争の真実が明らかにされることを願い、また、極東国際軍事裁判が法の真理にのみ基づいて再審されることを祈るような思いで、次のような言葉を残したのです。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。
パール判事は極東国際軍事裁判後の日本に対して、ある一つのことを強く熱望していました。それは、このような不当な裁判に決して屈することなく、日本と日本人が力強く発展してほしいという願いでした。戦後、パール判事は何度か日本を訪問しますが、そのたびに日本人が大東亜戦争について深い罪の意識を抱いていることに義憤を感じていたそうです。そして、1952年11月5日、広島の原爆死没者慰霊碑を訪れ、その碑に刻まれた文字の意味を知らされた時、見る見るうちに表情を曇らせたというのです。そこには「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」とありました。パール判事は二度、三度と碑文の意味を確かめた上で、次のように発言しました。
「この『過ちは繰り返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。落とした者の責任の所在を明らかにして「私は再びこの過ちは犯さぬ」というならうなずける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲網をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハル・ノートを突き付けてきた。アメリカこそ海戦の責任者である。」
「ただし、過ちを繰り返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常に立派な決意である。それなら賛成だ。しかし、それならなぜそのようにはっきりした表現を用いないのか。原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現の中には、民族の再起もなければ、また犠牲者の霊も慰められない。」
パール判事は「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝がこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまうとは思わなかった」と、東京裁判がもたらした弊害を包み隠さずに語り、そして、「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」と嘆いたのです。
私たちは今こそ、極東国際軍事裁判により戦犯とされ、祖国の行く末だけを憂いて死出の旅路に赴いた人々の汚名を雪(そそ)がなければならないのです。「誰も信じてくれなくても、日本人であるあなたたちだけは信じてくれ」との声ならぬ声に耳を傾けなければならないのです。「殺人犯の家族」と後ろ指をさされながらも、世間のいかなる評判にも耐え忍びつつ、一途に無実を信じ続けた阪原さんの遺族のように、私たちも日本国と日本国民の名誉のために、すべてのいわれなき罪を背負って戦犯とされた方々の無実を信じ続け、歴史の真実を求めていかなければならないのです。正義の女神がほほ笑む法廷で再び歴史の真実が明らかにされるように、再審請求の声を上げ続けなければならないのであり、真実を求める祈りを決して絶やしてはならないのです。
最後に、A級戦犯として絞首刑に処せられた被告が『パール判決書』に接した際に、残した歌を紹介します。ここで「ふみ」と詠まれているのが『パール判決書』のことです。
「百年の 後の世かとぞ 思いしに 今このふみを 眼のあたりに見る」 (東條英機)
「ふたとせに あまるさばきの 庭のうち このひとふみを 見るぞとうとき」
(板垣征四郎)
戦犯とされた被告に対して全員の無罪を主張した『パール判決書』が、戦犯の方々の無念をどれほど慰め、汚名を着せられた一人一人の心にどれほどの平安をもたらしたことでしょうか。現在、国際法学者の中で極東国際軍事裁判の正当性を認める者はほぼ皆無と言われています。それなのに、日本人だけがいまだに東京裁判史観とも言われる捏造された歴史観に洗脳されたままなのです。日本の政治家も学者も法律家も、なぜ正義の声を上げないのでしょうか。
1952年にBC級戦犯の家族と対面した際に、パール判事は次のような言葉を途切れ途切れながらも、悲痛な面持ちで伝えられたそうです。
「戦犯と言われるが、決して犯罪者ではありません。全員無罪です。何も罪を犯したのではないのです。恥ずべきことは一つもありません。世界の人々も、戦争裁判が間違っていたことを少しずつ分かり始めたようです。しかし、わたくしは、いまさらながらに自分の無力を悲しみます。ただただ同情申し上げるだけで、わたくしには何もできません。・・・けれど戦犯釈放にはできるだけ努めます。これ以上、罪のない愛する者同士を引き離しておくわけにはいきません。・・・わたくしは倒れそうです。・・・許してください。」
日本人一人一人がこのような言葉を戦犯とされた方々に心の底から言えるようになった時、捏造された歴史をそのまま信じ込んできた愚行を許して下さいと心の底から謝罪できるようになった時、日本は戦後の洗脳教育の呪縛から解放され、真の独立国となることができるのです。大東亜戦争の真実を知ろうとしなかったことを心から猛省し、歴史の真実だけを尋ね求める真摯な心を取り戻すことによってのみ、日本国は救われるのであり、私たち日本人も救われるのです。そして、その時こそ、戦犯とされたすべての御霊も救われて、安らかに眠ることができるのです。