平成11年(1999年)8月13日に「国旗及び国家に関する法律」が、公布され、即日施行されました。通称は「国旗・国歌法」で、国旗と国歌について規定した日本で最初の法律となりました。条文は以下の通りです。
第一条 国旗は日章旗とする
第二条 国歌は君が代とする
国旗も国歌もその国を代表するものであり、そこにはその国の建国の由来や国柄、さらには民族の伝統文化や精神、そして、それらのものを生み出した理想や国家と国民の所願が込められています。国旗と国歌に敬意を払うことは、まさにその国に敬意を払うことであり、国民にとって国旗と国歌は誇りであり、名誉そのものでもあります。そして、これが世界の常識であることを、私たちは何よりも肝に銘じなければなりません。
そこで、わが国の国旗と国歌に込められた深淵なる由来とその意味について記しておきたいと思いますが、まずは国旗についてです。
国旗に描かれている赤い丸の意味をご存知でしょうか。古代から稲作を通じて太陽の恵みに浴してきた日本人は、太陽への感謝の表れとして、古来より太陽を信仰の対象とし、それを赤い丸で表現してきました。『記紀』(古事記・日本書紀)によれば、最高神である天照大御神は太陽の女神であり、高天原を統(す)べる主宰神でもあります。そして、天照大御神は御自分の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に遣わす「天孫降臨」の際に、高天原の神田に植えられた稲穂を授け、地上に送り出されました。そして、地上で稲穂を育てて、民が飢えることのない「瑞穂の国」とするように命じられたのです。
私たち日本人は太陽の恵みのもとで稲作を生業(なりわい)としながら、太陽神である天照大御神への篤い信仰心を育んできました。太陽の恵みへの感謝の心を赤い日の丸に込めてきたのです。赤い日の丸は太陽の光だけでなく、太陽の恵みへの感謝を表す円滑な心のかたちを象徴していました。そして、国旗の白地は純真無垢で二心のない信仰心の象徴でもあったのです。
聖徳太子が遣隋使に託した文書にある「日出づる国(ひいづるくに)」とは、まさに日本が太陽の国であることを表現したものでした。そして、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴していたのです。日の丸は国旗としての歴史も古く、平安時代末期から鎌倉時代にかけて武士たちが旗印として使用していました。また、日の丸が広く使われるようになったのは源平合戦の頃からで、戦国時代には武将たちは軍旗やのぼりに日の丸を描き、戦場で掲げました。それは、太陽の力を味方につけ、太陽の力を身に帯びて戦うという意味合いからでした。
そして、この起源を尋ねてみれば、それは神武天皇による、いわゆる「神武東征」の説話に辿り着きます。日向の地を出発した神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと:後の神武天皇)は孔舎衛坂(くさえのさか)から生駒山を越えて大和に入ろうとしましたが、その時、地元の豪族である長髄彦(ながすねひこ:大和地方の豪族で神武天皇の東征に抵抗した指導者)が立ちはだかります。神日本磐余彦尊の軍勢は苦戦を強いられ、結果として、兄の五瀬命(いつせのみこと)が敵の放った矢で負傷してしまいます。頑強な敵の抵抗を受け全滅の危機に陥った時、神日本磐余彦尊に天神(あまつかみ)から次のような黙示があったのです。
「我らは日の神の子孫であるのに太陽に向かって戦いを挑んだのは天の御心に逆らっている。このような時は退いて敵の前に弱さをさらしても、神を祀ることである。そして、東の方から太陽の勢いを背中に負って戦うならば今までと同様に戦わずして勝つことができるだろう。」
神日本磐余彦尊にとって惨めな敗戦の末に退却することは無念でしたが、天啓に従っていったん退くことにしたのです。この時、神日本磐余彦尊は敵の攻撃を防ぐ盾を捨てたとしても、天の道には逆らってはならないと、自らの誤りを認め、目に見える盾ではなく、目に見えない神にこそ寄り頼むべきであると決意します。そして、天の御心に立ち帰る祈りを捧げられたのです。その後、神日本磐余彦尊は二度と天道(あめのみち)に逆らうことがないように、天啓にのみ従って歩まれ、はるばる紀伊半島を迂回して熊野の山々を越える苦難の旅路に出て行かれたのです。
熊野の山々を越えて、太陽を背中に負って、いよいよ長髄彦との再度の決戦が始まりました。戦いを重ねながらもなかなか勝つことのできない苦境の中で、ある日突然、空が暗くなり雹(ひょう)が降ってきました。そこへ金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、神日本磐余彦尊の弓の先に止まります。その鵄は雷光の如く光り輝き、その輝きに長髄彦の軍勢はみな目がくらみ戦う気力を失ってしまったのです。そして、天から黙示された通りに長髄彦に勝利することができたのです。
この物語が日本の国旗の由来となりました。日本の国旗「日の丸」の上には金色の玉がついていますが、これは神日本磐余彦尊の弓の先に止まった金色の鵄を表しています。また、旗竿の黒白模様は弓を束ね補強するために巻かれた藤のつるを表したものです。つまり、日本の国旗は日の丸だけでは不十分なのです。日の丸と共に金の玉、そして黒白模様の旗竿とがすべて合わせられた時に、初めて日本の国旗となるのです。神武東征における奇跡的な勝利をいつも思い起こすための旗印こそが、日本の国旗だからです。
日本の建国においては、軍事力だけでは到底勝利することができない困難がありました。その時、天来の不思議な力が眩(まばゆ)いばかりの金の鵄となって天から降り、神の霊に加持されて日本という国は建国されたのです。この天佑神助(てんゆうしんじょ)を象徴的に表しているのが、わが国日本の国旗なのです。
私たち日本人は日の丸を掲揚するたびに、建国神話を想起し、日本が天の御心によって肇国(ちょうこく)されたことを記念する心で、美しい国旗を仰ぎ見る民族なのです。白地に赤く染められた日の丸は日本国の象徴そのものであり、紅白は日本の伝統色でもありました。日の出の太陽を表す「赤」は赤誠心(せきせいしん)と生命力を、白地の「白」は神聖さと純潔を意味するとも言われています。
日本の国旗である日の丸は時代の激変や幾度の国難をも踏み越えて、一度も変わることなく受け継がれてきました。そして、国家と国民の喜びも悲しみもすべてを包み込むようにはためき、その不変の美しさは私たちに希望と誇りを与え続けてくれたのです。今までも、そして、これからも、日の丸はとこしえに私たちの国の旗なのです。