1941年12月8日、日本は米国および英国に対して宣戦を布告し、大東亜戦争の幕が切って落とされました。日本海軍の連合艦隊機動部隊による真珠湾攻撃から始まった対米英戦争の正式名称は「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」であることを、改めて私たち日本人は肝に銘じなければならないと思います。
大東亜戦争という名称についてですが、まず1941年12月10日の大本営政府連絡会議において、「支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と決定されます。さらに12月12日の閣議において「今次の対米英戦争及び今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称す」と明記され、支那事変と対米英戦争を合わせた戦争呼称が「大東亜戦争」であると公式に決定されたのです。
戦後、GHQの占領政策として、「大東亜戦争」という呼称の使用が禁止されますが、実は、この呼称廃止の覚書は1952年4月11日に失効しており、大東亜戦争という呼称を使用することには何ら問題はないのです。にもかかわらず、日本政府は大東亜戦争という呼称を使用せず、現在に至るまで公的に「今次の戦争」や「先の大戦」、あるいは「第二次世界大戦」という呼称を用いてきました。しかし、戦後80年の節目となる今、私たちは歴史の真実を取り戻すための第一歩として、まずは日本政府が公式に閣議決定した「大東亜戦争」という呼称を取り戻さなければならないのではないでしょうか。
そして、大東亜戦争がいかなる目的のもとに始められたのか、その真実についても誠実に向き合わなければならないと思うのです。では、大東亜戦争の目的とはどのようなものだったのでしょうか。そのことを知るために何よりも大切なことは、12月8日に渙発(かんぱつ:詔勅を広く天下に発布すること)された開戦の詔書(正式には「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」)に心を留めることです。
では、開戦の詔書にはどのようなことが書かれていたのでしょうか。そこには大東亜戦争の目的が明確に記されています。
「益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ帝国ノ存亡亦正ニ危殆(きたん)ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然(けつぜん)起ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕(はさい)スルノ外ナキナリ」
【口語訳】
益々、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国が払ってきた積年の努力は、ことごとく水泡に帰し、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、もはや我が帝国は自存と自衛のために、決然と立ち上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
戦後29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本に帰還した小野田寛郎(おのだひろお)陸軍少尉は、大東亜戦争の目的について開戦の詔書の言葉を紹介しながら、詔書の中には「侵略」の「侵」という言葉はありません、と話されたことがあります。そして、当時の日本人は詔書に明記された目的のために戦い、あるいは斃(たお)れたのであり、誰一人としてその目的に疑いを抱く者はいなかった、と断言しているのです。それなのに、戦いに敗れたことにより自ら戦争の目的を否定し、「侵略」であったと自らを貶(おとし)めるのは何故なのか、その悲痛な思いを告白しています。
私たちは大東亜戦争という呼称さえ使うことができないのでしょうか。当時の日本政府が正式に閣議決定した呼称を使用することに、どうして躊躇しなければならないのでしょうか。さらに、天皇陛下の御名によって渙発された詔書に示された戦争目的を語ることさえ許されないのは何故でしょうか。大東亜戦争の目的をはじめとして、この戦争に対する評価が日本人の中で戦後、真逆になってしまったのは何故なのでしょうか。
もしかしたら、私たちは今日まで真実を知ることを避けてきたのかもしれません。大東亜戦争の真実に蓋をして、先人たちがなぜ戦い、どんな思いで散華されたのか、その真実の声を聞こうとしてこなかったのではないでしょうか。1941年12月8日、日本は米英両国に宣戦布告しました。それは、侵略戦争だったのでしょうか。支那事変も含めた大東亜戦争は日本による侵略戦争であり、悪なる戦争だったのでしょうか。
「開戦の詔書」には侵略という言葉はなく、ただそこに記されているのは、祖国の存立が危うくされる中で、自存自衛のために決然と立ち上がらなければならないという決死の覚悟と、東亜の平和と安定のために戦わなければならないという一大目的でした。戦後80年、日本人は深い眠りから醒めて、歴史の真実に立ち返らなければならないのです。真実を語ることには多くの抵抗があり、反発があり、また、様々な軋轢(あつれき)が生じることも覚悟しなければなりません。しかし、今こそ、私たちは真実に立ち返ることを至上の責務として引き受けなければならないのです。
真実だけが私たちの魂を自由にします。戦後、私たちは見せかけの自由を享受してきましたが、何よりも大切な魂の自由を束縛されてきたように思います。だから、日本国の首相は靖国神社に参拝する自由がありませんでした。さらに言えば、今上陛下の御親拝が叶わないことこそ、国家としての魂の自由が失われていることなのではないでしょうか。
今上陛下におかれては、1969年12月に御参拝されて以来、靖国神社への御親拝は実現されていませんし、 上皇陛下におかれましても、 皇太子時代に4回(1953年3月、1959年6月、1966年4月、1969年12月)、行啓(ぎょうけい)されただけです。そして、天皇陛下御自身による御親拝は1975年(昭和50年)11月を最後として途絶えたままになっているのです。上皇陛下は天皇在位中に宮内庁職員に、「そろそろ靖国に行けないか」と御下問(ごかもん)になったと言われています。
日本国が魂の自由を回復し、日本国民が真の自由を享受するためには、歴史の真実にのみ心を向け、いかなることがあっても真実だけは曲げられないという信念を持つことです。真実を知り、真実に殉じることによってのみ、私たちは真の自由を得ることができ、さらには日本国の汚名を雪(そそ)ぎ、国民一人一人が名誉と誇りを取り戻すことができるのです。