2026年3月11日水曜日

「久延彦 REPORT」(29):「建国記念の日」について

 世界に存在する国家の中で、最も古くから存続している国、それが日本です。そして、『古事記』や『日本書紀』には、日本建国の由来が記されています。理想の国づくりを目指して、九州の日向(現在の宮崎県)から東の地へと理想郷を求めた神武天皇は「神武東征」により、大和(やまと)の地を平定し、橿原(かしはら)の地で初代天皇として即位されました。その日が紀元前660年2月11日なのです。

 ところで、日本の建国が紀元前660年2月11日とされているのはどうしてなのでしょうか。この日は神武天皇が即位された日なのですが、その日付はいかにして特定されたのでしょうか。それは、『日本書紀』の次のような記述を根拠としています。

 「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳為天皇元年」
 辛酉(かのととり)の年、春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)。天皇、橿原宮において即帝位す。この年を天皇元年となす。

 ここには、「辛酉の年」という年、「春正月」という季節、「庚辰の朔」という日がそれぞれに明記されています。これらの記述に基づいた緻密(ちみつ)な計算により現代の暦に特定されたのが、紀元前660年2月11日であったというのです。

 それでは、それぞれの計算法について説明しておきます。まずは、「紀元前660年」を即位年とした計算法についてです。このことを理解するためには「辛酉革命(しんゆうかくめい)」という思想を理解する必要があります。これは干支(えと)の「辛酉(かのととり)」の年には大きな変革(革命)が起きるという歴史の周期に関わる思想で、干支は60年周期ですから、60年に1度、歴史的な変革が訪れると信じられていました。さらに、この60年周期は一元(いちげん)と呼ばれ、これが21回繰り返される21元は一蔀(いちぼう:60年×21元=1260年)と呼ばれていました。そして、一蔀に相当する1260年を周期としてより大きな変革、画期的な「大革命」が起きると考えられていたのです。

 ところで、いかにして紀元前660年という年が導き出されたのでしょうか。この年を導き出すための基準とされたのが、601年(推古天皇9年)でした。この年は「辛酉の年」であり、国家にとっての一大転換期ともなる聖徳太子の時代でした。推古天皇の御代(みよ)に聖徳太子が摂政となり、601年に斑鳩宮(いかるがのみや)が造営されたのです。『日本書紀』の完成は720年ですが、『日本書記』の編纂(へんさん)者は辛酉革命の起点となる年を探し出し、それを601年としたのです。そして、601年を基準として、そこから一蔀となる1260年を遡(さかのぼ)った年を、肇国(ちょうこく)の起点とし、神武天皇の即位年と定めたのです。すると、計算式は次のようになります。
 601年-1260年(一蔀)=-659年
 紀元零年(西暦0年)はないので、紀元前660年となるのです。

 次に、季節ですが、『日本書紀』の記述では「春正月」となっています。これは旧暦の正月(1月1日)のことですが、この日は通常であれば「立春」の前後になります。そこで、即位日は立春に近い時期であることが推定されました。

 さらに、紀元前660年の立春の時期で、「庚辰」という干支に当たる日を探し出し、その日が「朔(ついたち:新月)」であるかどうかを天文学的に割り出しました。これらの緻密な計算法により、神武天皇即位日を新暦に特定する計算をしていくのですが、この重責を担ったのが文部省天文局と暦学者の塚本明毅(つかもとあきたけ)でした。そして、紀元前660年の立春に最も近い庚辰の日を探すと、新暦の2月11日に特定されたのです。因みに、その前後には前年の12月20日と同年の4月19日も庚辰の日でしたが、これらは「春正月」とはならないことから、「辛酉年春正月庚辰朔(かのととりのとし はるむつき かのえたつのついたち)」は、紀元前660年2月11日となったのです。

 このようにして、1837年(明治6年)の太政官布告により、2月11日が「紀元節」と定められることになりました。日本という国が肇(はじ)まった瞬間、まさにその日が紀元前660年2月11日なのです。

 ところで、2月11日が「紀元節」であり、「建国記念日」であることについては批判もあります。それは、『日本書紀』の記述はそもそも史実ではなく、日本建国の物語は神話でしかないという反論です。もちろん、紀元前660年2月11日が神武天皇が即位された日であるという歴史的な確証はありません。現代人の科学偏重の価値意識に従えば、神話は史実ではなく、その神話に基づいて建国の日を設定することは歴史の歪曲でしかないということになるのかもしれません。

 しかし、日本という国が肇まった瞬間があり、神武天皇が初代天皇として即位された時から、日本という国の歴史が紡(つむ)がれてきたことも事実です。日本は世界で最古の国家であり、悠久の歴史を刻んできた日本国の肇まりの時を明確にすることはできないかもしれませんが、それでも、先人たちはわが国最初の正史である『日本書紀』に日本国の肇まりについて書き残しておきたいと思ったのです。それは、子々孫々にいたるまですべての日本人が祖国の肇まりを記憶し、その悠久の歴史の神秘に感謝する心を持ち続けることを切望したからでした。

 世界中の国々は近代国家として成立した明確な歴史的事実に基づいて、それぞれに建国記念日を制定しています。米国の独立記念日は1776年7月4日(独立宣言が署名された日)であり、フランスの革命記念日は1789年7月14日(フランス革命でバスティーユ牢獄が襲撃された日)であり、中国の国慶節は1949年10月1日(毛沢東により中華人民共和国の成立が宣言された日)です。しかし、日本だけは世界に類例のない神話と歴史が結び合わされた建国記念日を祝賀する不思議な国なのです。そして、この不思議さこそが、日本国の国柄の礎であり、この不思議な肇国(ちょうこく)の歴史を信じ続け、今日まで継承してきたのが日本人の伝統精神だったのです。

 ここに日本人の美しい心があります。それは神話と共に肇まった祖国の歴史を信じる心でした。学徒出陣で散華(さんげ)された山口輝夫少尉の言葉を紹介します。

 「実に日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じてきた祖先たちの純心そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。国体とは祖先たちの一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。」

 これほどに美しく、純真なる心によって語り継がれ、受け継がれてきた、美しい肇国の物語が世界のどこにあるでしょうか。日本の建国は神秘に包まれたものであり、日本国の肇まりは不思議なほどに美しいものなのです。このような美しい国、日本の肇まりに心を向ける一日、それが「建国記念の日」であり、「紀元節」なのです。美しい日本の神話に耳を澄ませ、悠久の歴史をしみじみと思い起こし、日本に生まれたことの幸いに感謝する心を取り戻す時、愛すべき美しい日本が私たちの心の中によみがえってきます。

 安倍晋三元首相が米国において語られた「ジャパン・イズ・バック(日本は戻ってきた)」という言葉が、世界中に響き渡る日が訪れることを切望しています。そして、その第一歩は、私たち一人一人が肇国の歴史を取り戻すことから始まります。2月11日を「建国記念日」として、また、「紀元節」として寿(ことほ)ぐ心を取り戻すことができれば、その時こそ、美しい日本は私たちのもとに戻ってくるのです。