2025年7月29日火曜日

「久延彦 REPORT」(6)

 7月29日は何の日か、ご存知でしょうか。1937年(昭和12年)7月29日に起きたある事件について、大東亜戦争終結から80年の節目である今年だからこそ、私たち日本人は思い起こさなければならないと思います。この事件は「通州事件(つうしゅうじけん)」と呼ばれるものです。

 1937年7月29日、中国の通州という町に居住する日本人や朝鮮人が惨殺される事件が起きたのです。その被害は、日本人と朝鮮人の居留民225名と日本軍守備隊32名のあわせて257名にも上り、通州虐殺事件とも呼ばれています。女性や子供も関係なく、日本人と分かれば、見境なく惨殺されました。その残虐さについて、当時中国を取材していた米国人ジャーナリストは次のように伝えているのです。

 「支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺(とさつ)として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見した時には、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。」

 このような凄惨な事件を犯した首謀者が誰かと言えば、それが通州に居住する日本人を守るために組織された中国人による保安隊だったのです。そもそも日本人を守るために組織された保安隊が、どうして日本人を虐殺するという暴挙に出たのでしょうか。大東亜戦争が終結して30年以上を経た頃、保安隊隊長の通州事件に関する回想録が発表されたのですが、その中には驚愕すべき事実が記されていたのです。

 それは、日本人を守るための保安隊が、実は日本と敵対していた中国国民政府と密かにつながっていたということです。つまり、中国国民政府の指示により、保安隊隊長は通州で反乱を起こし、日本人を殺害するようにと命令されていたのです。その結果として起きたのが通州事件であり、中国人の残虐非道な行為は、歴史的な虐殺として名を残すと言われるようになったのです。

 通州事件の真相については、あまりにも凄惨であるためここでは割愛させていただきますが、当時の新聞では次のような見出しが躍っていたのです。「通州で邦人避難民三百名殆ど虐殺さる」(東京日日新聞 7月30日)、「惨たる通州反乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」(東京日日新聞 7月31日)、「掠奪(りゃくだつ)!銃殺!通州兵変の戦慄(せんりつ) 麻縄で邦人数珠繋ぎ 百鬼血に狂ふ銃殺傷」(東京朝日新聞 8月2日)。

 では、なぜあえてこの通州事件について取り上げたのかと言えば、この事件は中国政府(中国共産党)にとってはどうしても隠蔽しておきたい不都合な真実であったからです。なぜなら、通州事件はその五ヶ月後に起きた南京事件と無関係ではないと言われているからです。中国共産党はしきりに南京事件を日本軍による虐殺事件として喧伝していますが、通州事件の真相が明らかになれば、中国人の残虐性こそが世界から非難されることは明らかだからです。反日プロパガンダの象徴である南京大虐殺記念館には、30万人が虐殺されたという嘘の数字が刻まれ、数多の捏造された写真が展示されていますが、そのほとんどすべてが真っ赤な嘘であることが今日明らかになっています。

 つまり、大東亜戦争において残虐行為をしたのは中国人民であって、日本軍ではなかったのです。ところが、中国共産党としてはどうしても日本軍の残虐性を訴えたい、日本軍による蛮行を世界中に知らしめたい、そして、中国人民こそが日本軍からひどいことをされた被害者であると認めてもらいたい、そのような悪意によって南京事件は「南京大虐殺」として捏造され、ありもしない虚偽が言い広められてきたのです。

 実は、支那事変以後の戦線拡大については、日本側には消極的な意見も多く、むしろ不拡大方針で事変後には停戦協定が成立しており、事態を終息させる道を模索していたのです。しかし、このような事変終結への道を打ち壊し、その雰囲気を一変させたものが通州事件であったとも言われているのです。もしも、通州事件がなかったならば、支那事変以降の日中間の歴史は変わっていたかもしれないのです。それほどに大切な歴史的事件が通州事件であることを、私たち日本人は見過ごしてはならないし、この事件を知ることなしに日本がなぜ支那大陸でかくも戦線を拡大し、泥沼とも言える不幸な戦争に巻き込まれるようになったのか、その真実に出会うことはできないのです。

 戦後80年を迎えるに際して、石破首相は大東亜戦争の総括をしようと試みていますが、通州事件の真実を知らずして、大東亜戦争の総括などできるはずもないのですが、果たして石破首相はこの歴史的な事件を知っているのでしょうか。是非とも、石破首相には次のように声明を出していただきたいです。

 「通州事件とは何だったのか、なぜそのようなことが起きたのか、そして、その5ヶ月後に起きた南京事件の真実とは何であったのか、これらのことを検討してみなければ、あの戦争についていかなる声明も見解も出すことはできないのです。そのことを日本国民と共にしっかりと考え、検討することを戦争総括の第一歩としなければならないのです。」