7月20日の参議院選挙で歴史的な惨敗をした自民党ですが、石破首相は責任を取ることなく、居座りを続けています。今なお首相続投の意思は変わらないようですが、かつて石破首相自身が「首相の責任」について、どのような発言をしていたのか、ご紹介しておきたいと思います。
2007年(平成19年)7月の参議院選挙で自民党が大敗した時、当時の安倍晋三首相に対して、石破氏は「安倍続投」に強い異議を唱えて、次のような発言をしていました。
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない。その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる。このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない。」
この言葉をそのまま今の自民党に当てはめるなら、どうなるのでしょうか。昨年の衆議院選挙、そして、今年6月の都議会議員選挙、そして今回の参議院選挙と自民党はいずれも惨敗しました。責任を取るべき人とは自民党総裁である石破首相であるはずですが、責任を取るべき人が取らないのは組織ではないということになります。また、その責任を追及する声が上がらないなら組織は病んでいるのですから、石破首相の責任を追及しなければ自民党は病んでいることになってしまいます。そして、このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がないのだそうです。
また、石破首相は次のようにも語り、安倍首相の続投会見は理解できないと、その責任を厳しく追及していたのです。
「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない。『私の使命』って王様じゃないんだから。」
そして、石破首相は「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」と、まさに「正論」を語っていたのです。しかし、今、石破首相がどうして首相の地位にしがみついているのか、その理由は「私の使命」があるからだと言います。石破首相は側近の議員に、私には天から与えられた天命のようなものがある、という趣旨のことを話しているそうですが、それこそ内閣は石破氏個人のものではないはずです。
また、2011年7月の衆議院予算委員会では、参議院選挙で惨敗した当時の民主党の菅直人首相に対しても、次のように発言していたのです。
「菅民主党政権を正せということが選挙の結果だった。選挙をなめないでください。・・・主権者たる国民の選択なんです。」
菅首相の責任を追及し、その進退について鋭く迫る石破氏に対して、菅首相は「許される範囲で全力を挙げて、これからも取り組んでまいりたいと考えています」と答弁しました。すると、石破氏は菅首相に対して、平然として言い放ったのです。
「言っても無駄なことはよく分かりました。内閣はあなたの私物ではありません。あなたの自己満足のために内閣があるわけではありません。」
今の石破首相に対しては何を言っても無駄なのでしょうか。石破首相の人柄について、私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。しかし、石破首相の最側近である赤沢亮正経済再生担当相は、その人柄について、次のように語っているそうです。
「本当に真摯な方。クリスチャンなんですね。洗礼も受けているクリスチャンで、もう、なんかね、自分が神から与えられた使命をとにかく果たしたい、その思いはもう間違いない。」
「神から与えられた使命」とは何であるのか、石破首相がそもそもそのことを理解しているようには思えませんが、これだけは確かなはずです。神は日本国が美しく誇りある国家であり続けることを願われているのです。そのために石破首相はどうすべきなのか。自己満足のためではなく、今こそ主イエス・キリストの祈りに耳を傾けていただきたいです。
しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。
(マタイによる福音書 26章 39節)