石破茂首相が7月2日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会において、外国人労働者の受け入れを巡って発言したことが大きな波紋を広げています。石破首相は外国人を受け入れる必要性について、次のように述べたのです。
「七面倒臭(しちめんどうくさ)い日本語、日本の習慣を日本政府の負担によってでも習得してもらい、適法な人に入ってもらう。」
これが日本国を代表する首相の発言なのか、と耳を疑いました。さすがにこの発言については多くの批判が出ていますが、立憲民主党の小沢一郎衆院議員でさえも痛烈に批判しているのです。
「日本の言葉や伝統・文化に対する畏敬の念が感じられない。多くの国民を不快にさせ、総理としてまったくふさわしくない発言である。」
小沢議員の今回の発言だけはまことに的を射(い)たものです。そもそも「七面倒臭い」とはどういう意味なのでしょうか。ここで「しち」は「極めて、非常に」という意味の接頭辞で、「七」は当て字のようです。つまり、「極めて煩(わずら)わしく、非常に面倒で嫌な」という意味なのです。このように形容されているものが、日本語であり、日本の習慣であるというのです。
母国語である日本語は七面倒くさい言葉であり、日本人が普段の生活で実践している習慣が煩わしくて嫌なものとは、これが日本国の首相の発言なのでしょうか。それとも、この発言はもしかしたら安倍元首相に対する嫌味なのでしょうか。「美しい国へ」と題された本を執筆された安倍元首相が何よりも愛されたのは、美しい日本でした。そこには、美しい日本語があり、美しい日本の文化・伝統があり、美しい国のかたちがあり、美しい日本の歴史があったのです。
日本語を話すということに敬意も責任も感じていない石破首相、自国の言葉や習慣を七面倒くさいと揶揄(やゆ)する石破首相、そして、七面倒くさい日本語の習得に国民の血税を使おうとする石破首相、一体この「七面倒くさい人」はどこの国の首相なのでしょうか。
しかし、もっと七面倒くさいものがあります。それはこのような石破首相のことを擁護し続け、問題発言があっても絶対に国民に知らせようとしないマスメディアです。七面倒くさいマスメディア(新聞・テレビ)という存在も国難の一つに違いないのです。