2025年9月18日木曜日

「久延彦 REPORT」(13)

  9月18日は何の日か知っていますか。1931年9月18日は柳条湖(りゅうじょうこ)事件が起きた日であり、いわゆる「満洲事変」が勃発した日とされています。そして、戦後の学校教育では、満洲事変を契機として、日本は支那大陸への侵略戦争をはじめ、その後およそ15年間にわたる「日中戦争」(この呼称は歴史的には問題があります)の泥沼にのめり込んでしまったと、教えられてきました。そして、満洲事変こそが侵略戦争の始まりであり、その後の日本は植民地支配と侵略戦争によって、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えてきたと、多くの日本人は思い込んできたのです。

 しかし、この歴史認識が事実と全く異なり、意図的に捏造されたものであったとしたら、どうでしょうか。満洲事変が侵略ではなく、その翌年に建国された満洲国が日本の傀儡国家(かいらいこっか:形式的には独立しているものの、外部の強国に事実上支配され、操られている国家)などではなかったとしたら、どうでしょうか。大東亜戦争終戦から80年を経た今、満洲事変と満洲国建国について正しく理解することは何よりも大切なことなのです。なぜなら、満洲事変がなぜ起きたのか、また、満州国建国の目的が何であったのか、その真実を知らなければ、私たちは大東亜戦争が日本による侵略戦争ではなかったという歴史の真実に決して出会うことはできないからです。

 結論からお話ししますが、満洲事変は学校教育で教えられてきたような日本の侵略行為ではありませんでした。満洲事変は侵略戦争の始まりなどではなく、むしろ欧米の植民地支配政策により翻弄(ほんろう)され、混乱させられた清朝滅亡後の支那大陸に政治的安定と平和をもたらすための最終的な解決手段だったのです。つまり、満洲事変は日本による侵略行為の始まりではなく、欧米による侵略行為を終わらせるためのものだったのです。

 まず、事実を確認しておきますが、満洲事変前夜の満洲はどのような状態だったのでしょうか。1912年、清朝滅亡後の満州には馬賊(ばぞく:以前から満洲に居住していた清国人)や匪賊(ひぞく:満洲に密入国した漢民族)が跋扈(ばっこ:思うままにのさばること)しており、お互いに熾烈(しれつ)な戦いを繰り返し、戦乱状態にありました。そして、満洲の住民は平和に暮らしていたのではなく、馬賊や匪賊の横暴に日夜、苦しめられていたのです。さらに、支那大陸では軍閥による権力争いが続いていました。奉天派軍閥の張作霖(ちょうさくりん)、直隷派軍閥の呉偑孚(ごはいふ)、そして辛亥(しんがい)革命により中華民国を発足させた孫文がそれぞれに政権を樹立し鼎立(ていりつ:三つの勢力が互いに対立すること)していたのです。

 このような戦乱状態にあった満州を支那本土から切り離し、満洲民族による独立国家を建設するために日本が満州事変を引き起こしたというのが真実なのです。そして、日本による満州国建国を誰よりも歓迎したのは、満洲民族であり、満洲に暮らしている住民であったことを私たちは忘れてはならないのです。

 満洲国立法院長の趙欣伯(ちょうきんはく)博士は満洲事変における日本軍の行動に対して、次のような感謝の言葉を述べています。

 「日本の軍隊が張学良(ちょうがくりょう:奉天派軍閥・張作霖の長子)とその軍隊を殲滅(せんめつ)して、大悪人の手から東北人民を救い出してくれたことに対して、深く感謝している次第であります。」

 満洲国が建国された後、満洲はどのようになったのかと言えば、まず何よりも満洲国には平和が行き渡り、住民の生活は改善させられました。また、日本からの莫大な投資により工業大国として目を見張るほどの発展を遂げていたのです。満洲国には日本の有能な官僚が派遣され、国家の威信をかけた一大事業が展開されていたのです。日本の国家予算が年間24億円であったその時代に、満洲国に対しては5か年計画で50億円もの資金が投入されました。大陸の一角に突如として出現した五族協和の理想国家・満洲国には、東アジアの各地から続々と移住する者が現れ、建国以来わずか13年の間に人口が3000万人から5000万人に急増したのです。

 欧米列強による植民地支配において、植民地となったアジア諸国は搾取と略奪に苦しめられました。また、欧米列強が植民地の平和と発展のために投資を行ったことなどありませんでした。そして、これが本来の植民地支配の性格だったのです。ところが、日本は満洲を植民地にしたのではなく、アジア諸国を植民地支配したのでもないのです。日本がいかに満州を重要視し、満洲国の発展とアジアの平和を願っていたのか、これこそが歴史の真実なのです。

 このような隠された歴史の真実を知ることなしに、大東亜戦争の真実に出会うことはできないのであり、その真実を知ろうとしない者には、歴史を総括する資格もなければ、大東亜戦争について大上段に論評したり、物知り顔で何らかの見解を発表したりする権利もないのです。