2026年5月15日金曜日

「久延彦 REPORT」(36):沖縄県民に告ぐ沖縄戦の真実

 5月15日は沖縄本土復帰記念日です。この日は1972年に沖縄が日本に復帰したことを記念する日であり、沖縄が米国の施政権から日本に返還されたことから、沖縄県が誕生した日であるとも言えます。本土復帰は、沖縄の人々にとってはとても大切な出来事であり、沖縄の歴史において最も重要な一日となっています。

 ところで、沖縄戦は大東亜戦争における日米最後の戦闘であり、日米最大の激戦でもありました。そして、この沖縄戦については、今でも「沖縄は捨て石にされた」と信じ込まされている人が多くいます。しかし、真実は真逆でした。沖縄は決して捨て石になどされていなかったのです。むしろ沖縄の防衛のために日本軍は最後の力を振り絞って奮闘しました。そして、日本全土から沖縄に向かった多くの将兵たちは惜しみなくその尊い命を捧げたのです。

 沖縄戦の真実とはどのようなものだったのか、この真実は日本国民すべてが知らなければならないことです。そして、歪められた史実を信じ込まされている沖縄の人々の心を一日も早く虚偽と捏造の呪縛から救ってあげなければならないのです。また、沖縄戦に散華した日本軍の兵士に対してだけでなく、沖縄地上戦において命を失ったすべての犠牲者の御霊に心からの哀悼を捧げるためにも、私たちは沖縄戦の真実を知らなければならないのです。

 沖縄戦で命を捧げられたすべての人々にとって、何よりも慰めとなるのは、私たちがそうした人々の生き様を記憶することであり、そうした人々の真実の声に耳を傾け、その思いを心に刻むことです。偽りの史実ではなく、歪められた証言ではなく、沖縄戦の真実こそが明らかにされなければならないのであり、真実の証言だけが記憶され、語り継がれなければならないのです。

 そこで、Xに投稿されていた沖縄戦の真実を物語る、ある証言をご紹介したいと思います。ここには「平和学習」では決して伝えられることのない真実があります。「平和教育」では絶対に教えてくれない真実の物語があるのです。

 「私の亡くなった祖母の話です。昭和20年沖縄戦のさなか、毎日降り注ぐ爆弾や銃撃から逃れるため、山の中腹にある壕に身を潜めていました。
 しかし、山の中には食料も水もありません。激しい攻撃の中、それを取りに里へ降りることは死を意味していました。夜になると、目の前の伊江島が赤く燃えていました。
 でも、激しい攻撃が止む時がありました。それは、遠く日本本土から特攻機が飛んできた時です。
 特攻機が飛来した時、米軍の艦の砲は特攻機を打ち落とすために空を向きました。米兵も生き残るために必死でした。
 そのわずかな時間に人々は山を降り、芋の茎や水を汲みに行ったのです。海の方を見ると、日本の飛行機が米軍の攻撃を受け、次々に火を噴いて海に落ちていくのが見えたそうです。
 人々はその特攻機を見て、涙を流しました。そして、こう祈りました。
 『もう来なくていい、来なくていいんだよ。』
 その言葉は邪魔だとか、無駄だから、という意味ではありませんでした。
 『どうせ、私たちは死んでしまう。だからあなたたちはここに来ることなく生きてほしい。』
 そう願いながら、堕ちていく特攻機に手を合わせていたのです。
 ・・・
 沖縄の新聞や平和教育では、沖縄は捨て石だったとか、軍は住民を守らないとか、特攻隊は犬死だったとか、平気で生徒に吹き込みます。
 でも、あの激しい戦いの最中、明日をも知れぬ命をつないでいた沖縄の人々に生きる希望を与えたのは、日の丸を背負った特攻機でした。」
(2026年3月26日 「ボギーてどこん」さんの投稿より抜粋引用)

 大東亜戦争における日米最後の戦闘となった「沖縄戦」は、1945年(昭和20年)3月から6月までの約3カ月間にわたって行われた日米最大の激戦でした。3月26日に慶良間諸島に上陸した米軍は、4月1日にはおよそ1500隻の艦船と延べ54万8000名の陸海兵力を動員し、沖縄本島に上陸を開始します。これは、人類の戦史上、最大の上陸作戦でした。それから3カ月にわたり日米両軍の間で激戦が繰り広げられ、「ありったけの地獄を一つにまとめたような戦い」と称されるほどの凄惨な戦闘となりました。

 沖縄での日本軍の奮闘は米軍を恐怖させました。そして、沖縄県民の愛国心と凄まじいばかりの抵抗は米軍に甚大な損害を与えることになったのです。さらに、沖縄に来攻する連合国軍に対して実施された「菊水作戦」と称される特攻攻撃は、米海軍に大損害を与えます。沖縄戦での米海軍の損害はそのほとんどが特攻による損害であり、米国海軍史上の単一作戦における損害としては最悪のものでした。

 沖縄戦における米軍の人的損失は予想をはるかに上回るものであり、米軍は日本の抵抗の激しさを思い知らされたのです。もしも、日本本土侵攻計画を実施するならば、どれほどの犠牲を払わなければならないのか、米国の指導者は抑えようのない不安と恐怖に打ち震えました。そして、「沖縄戦の二の舞になるような本土侵攻はしたくない」という空気が支配的となり、日本本土侵攻は断念せざるを得なくなったのです。

 沖縄は捨て石にされたのではありません。沖縄を守るために日本軍は最後の力を振り絞り、とっておきの戦艦「大和」までも海上特攻に出撃させ、全国民が心を一つにして沖縄を守るために戦ったのです。日本人は誰一人として神聖な国土の一部である沖縄を捨て石にしようなどとは思ってもいませんでした。また、沖縄県民も誰もが愛する祖国日本のために真心からの忠義を尽くし、命さえも捧げて戦ったのです。これこそが、沖縄戦の真実なのです。

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
(沖縄海軍根拠地隊司令官 大田實海軍少将[6月13日に海軍司令部壕で自決])

 「沖縄県民はよく尽くしてくれた。たとえ、日本本土のどこかが戦場になったとしても、これ以上の協力はないであろう。沖縄の住民を戦の道連れにすることは、まことに忍び難い。」   (第32軍司令官 牛島満陸軍中将[6月23日に司令部壕内で割腹自決])

 戦後、沖縄戦の真実は「反戦平和教育」の美名のもとでひた隠しにされ、捏造された証言と虚偽の史実ばかりが喧伝されるようになりました。その最大の被害者が沖縄県民なのではないでしょうか。沖縄戦に身を投じ、祖国のために誠忠を捧げた沖縄県民の心を誰が知っているのでしょうか。日本本土のどこよりもよく尽くしてくれた沖縄県民の国を愛する真心を誰が語り継いでいくのでしょうか。偽りの語り部は悲しみと惨めさを若者の心に刻むだけです。真実の語り部こそが祖国への純粋な愛と郷土への誇りを若者の心に刻むことができるのです。