高市早苗氏が自民党初の女性総裁に選出され、日本の政治に新たな1ページが書き加えられようとしています。そうした中で、あたかも高市新総裁の門出を祝うような出来事が起きました。それが、公明党の連立離脱でした。26年間にわたり、自民党政治の手かせ足かせとなって、日本の政治を混乱させてきたのが公明党でした。よくも四半世紀にもわたり連立政権を維持してきたものだと思うのですが、もはや自公連立政権はすっかり賞味期限が過ぎて、国民生活に悪影響しか及ぼさないようになっていたのです。連立解消は日本国に対する思いがけない祝福となり、日本国民にとってはこの上ない福音となったのです。
2013年4月17日、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、当時の安倍晋三首相との初の党首討論において、「必ず公明党はあなたがたの足手まといになる」と忠告しました。また、2023年9月26日には麻生太郎副総理が地元福岡の講演で安全保障関連3文書の改定について触れた際、「公明党幹部がガンだった」と語ったことがありました。歴史観や国家観が根本的に相容れない両党が連立を組んでいること自体に矛盾が内包されているのですから、時間の経過と共にその軋轢(あつれき)が大きくなっていくのは明らかだったのです。
しかし、政治の現場では歴史観や国家観の問題はさほど重んじられず、それよりも党利党略が優先され、選挙事情や与党利権などが最重要事項となり、国家と国民はないがしろにされてきました。結果として、26年間の連立により自公両党は深く結びつけられ、まるで一体不可分のような関係になっていたのです。ところが、ここにきて急転直下の大変革が起きました。これはもはや人知を超えたものであり、天の配材と思わずにはいられません。
もちろん、公明党の連立離脱には明確な理由があるはずです。最も気になることは、中国共産党の存在です。公明党と中国共産党の密接な関係はよく知られていますが、その関係の深さを象徴するかのように、公明党の斉藤鉄夫代表は連立離脱を決定する4日前の10月6日、呉江浩(ごこうこう)駐日中国大使と国会内で会談していたのです。この会談で何が話し合われたのか定かではありませんが、もしかしたら中国共産党からの指令があったのかもしれません。
実は、この日の会談において呉江浩大使が、「いかなる手段を用いても、高市早苗総理の誕生だけは阻止しろ。連立を解消してでも、総理にさせてはならない」という指令を出したのではないか、とも噂されています。公明党が連立政権に加わっていることで、中国共産党はさまざまな利益を得てきたはずです。にもかかわらず、それらの利益を手放したとしても、高市政権の誕生だけは何としてでも阻止するというのが中国共産党からの至上命令だったのです。ことは単純ではないのかもしれませんが、とにかく公明党にしろ、中国共産党にしろ、「高市嫌い」であることは明白であり、「高市潰し」で気脈を通じているというのは周知の事実なのです。
しかし、ここで計算が狂いました。公明党が「政治とカネ」というきれいごとで連立解消をしてみたものの、その5日後の10月15日には高市総裁と日本維新の会の吉村洋文代表との党首会談が行われ、首相指名選挙での協力や連立政権樹立に向けた協議が開始されることになったのです。まさに自民党への追い風でした。
1990年初頭のバブル崩壊以降の経済停滞を「失われた30年」と言いますが、この原因の一つが自公連立政権にあったことは事実でしょう。そして、日本の安全保障に関して自民党の足を引っ張り続け、安倍政権の悲願であった憲法改正に頑なに反対し続けてきたのは、まさに公明党でした。しかし、今や媚中政党である公明党に遠慮することなく、高市総裁は保守回帰に舵を切ることができるようになります。そして、何よりも公明党の反対により中断していた靖国神社の参拝を堂々と行っていただきたいです。
公明党が連立解消を申し出てくれたことは、そこにどんな理由があるにせよ、日本国と日本国民にとってこれほどの幸いはありません。高市早苗新総裁の門出をまるで祝福するかのような天からの贈り物、それが公明党の連立離脱であり、これはまさに人知を超えた天からの神風であったのです。天から吹き寄せる恵みの風に帆を張って、日本国と日本国民のために高市総裁が思い存分に国事に奔走できることを心から祈念したいと思います。